妖婆 死棺の呪い

『妖婆 死棺の呪い』原題ВИЙ/VIY
制作年:1967年 監督: アレクサンドル・プトゥシコ 
脚本:アレクサンドル・プトゥシコ、コンスタンチン・エルショフ、ゲオルギー・クロパチェフ
撮影:フョードル・プロヴォーロフ、ヴィクトル・ピシチャリニコフ
音楽:カレン・ハチャトゥリアン、原作:ニコライ・ゴーゴリ
出演: レオニード・クラヴレフ, ナターリア・ヴァルレイアレクセイ・グラズィリン, ニコライ・クトゥーゾフ, ヴァジーム・ザハルチェンコ, ピョートル・ヴェスクリャロフ
形式: カラー 上映時間: 72分 字幕: 日本語, ロシア語, 英語, フランス語, ドイツ語, オランダ語(2002年版(+)スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ヘブライ語)、音声:ロシア語、英語、フランス語
販売元: IVC, Ltd.(VC)(D) DVD発売日: 2002年, 2013年, 2015年
Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=AjyqXSSaOt4

販売元: IVC, Ltd.(VC)(D


『妖婆 死棺の呪い』ーー 男性に潜む女性嫌悪の表象

               清水 純子

世の男性にとって一番怖いものはなんだろうか?
『妖婆 死棺の呪い』を見るかぎり、それは老婆がすり寄ってくることである。
男がパワハラやセクハラと無縁だと思うのは、大きなまちがいである。
男性同士の恋愛の場合はいざ知らず、男女間でもそういった事態は容易におこりうる。
社会的に、経済的に、肉体的に、力においてまさった女性が男性を見初めたとして、その女性がその男性の好まざるタイプだったとしたらどうなるだろうか。
『妖婆 死棺の呪い』は、魔女に見初められてストーカーされた若い男の恐怖の物語である。

舞台は中世のロシアのキエフの修道院、神学生のホマーは、夏休みになったので仲間と三人で自分の村をめざすが、道に迷ってしまう。
狼がうろつく夜になってやっとみつけたあばら家の老婆に、三人は無理をいって泊めてもらう。
老婆は一番男前のホマーに興味を持ち、納谷に侵入してホマーに顔を寄せて、巨大な鼻を押し付けようとする。
後ずさりするホマーを力づくで押さえて飛びかかった老婆は、ホマーの肩に乗り、ほうきをかついで空を飛ぶ。
老婆が魔女であることに気づいたホマーは、お祈りの言葉を唱えると、老婆は力を失って地面に落ちる。
ホマーが隙をついてさんざんうちのめすと、老婆は絶世の美女に化けて「あたしもうだめ」とうめく。
神学校に戻ったホマーは、校長から呼び出され、大地主の瀕死の一人娘のお祈り役を仰せつかる。
悪い予感がして固辞するホマーを校長は許さず、ホマーは令嬢の元に遣わされるが、到着すると令嬢はすでに亡くなっていた。
教会に安置された遺体のお守りを三晩するよう命じられたホマーは、棺の中の顔を見て仰天する。
横たわる美しい令嬢は、あの魔女だった。
聖書を楯にして、白墨で自分の周りに円を描いて魔女の侵入を拒み通したホマーだが、三晩目に魔女は、土の精(ヴィー)の力を借りて、円内侵入に成功する。
魔女が教会の暗闇から引きずり出した魑魅魍魎と妖怪たちは、鶏のなき声とともに消えるが、ホマーはすでに虫の息だった。

『妖婆 死棺の呪い』には二種類の魔女が出現する。
1.最初は、巨大鼻の土気色をした皮膚を持つ、老父のような性別不明のぼろぼろの服をまとった農婦の魔女
2.次は、老婆が魔法を使って化けた、領主の若い娘。彼女は、真っ白な肌にバラ色の頬、豊かな長い黒髪、大きな神秘的な黒い瞳をもった絶世の美魔女白雪姫はこんな人だったのではなないかと思わせる美しさである。
奇妙なことに、この年齢も容姿も階級も全く別の1と2の二人の女は、同一人物である。
どうして魔女が1の醜い老婆になったり、2の地主階級の美女になったりするのか、その理由はわからない。
魔力によって天と地ほども隔たる女の二役を使いわけて、男の目を欺くためであろうか。
しかし、二人の対照的な人物、あるいは明暗を分ける二種類の女の表象には、共通した性質が一つある。それは、美男に目がない点である。

老婆の魔女は、怖いというより、どことなく滑稽である。
老婆によって納谷をあてがわれたホマーに向かって、納谷の隅から豚が鼻をつき出す。
豚の鼻は丸いと思っていたのに、実物は筒状の長い鼻であった。
それと並行してホマーに擦り寄る老婆のシーンがあるが、老婆の茶色の長い鼻は、この豚の鼻を連想させる。
ホマーに飛び乗ってむりやりほうきで空を飛ぶ老婆魔女も、ユーモラスである。
老女がジェネレーションを越えた若い男のバイクの背にまたがって、フィーバーしているおかしさがみられる。

本当に怖い魔女は、若く美しい領主の死美人である。
この死美人には、老婆のもつ牧歌的なユーモアも余裕もみられない。
ホマーになぐられた仕返しに、魔女は棺から甦ってホマーを襲う。
しかし、ホマーの描いた白い円形の輪が、強化ガラスの役割を果たしているのか、魔女は円内に入れない。
観客の目にはホマーの姿が見えるのに、魔女には見えないようである。
手さぐりで円内のホマーをつかもうとするが、目に見えない障壁に阻止されて悔しがる美魔女は、憎々しげで
老婆の魔女よりも醜く見える。

自分の魔力の限界を知った美魔女は、最後には自分より大きな力を持つ巨体の地の精ヴィーの力を頼る。
あたかも美女が、美貌を利用して大物の心を動かして復讐をとげるかのように、美魔女は他力本願によってホマーを征服する。
自力で失敗すると、より強力な男の力をあてにして、自分が勝ったつもりになる女の嫌な面――他律性と他力本願の習性――
が美魔女に投影されている。

原作は、ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリ
(1809-1852)による「ヴィー」である。
ウクライナ生まれのゴーゴリの初期の作品には、民衆の風習や伝説を題材にした明るいユーモアとロマン主義的な幻想性を特徴とするものが多く、ドイツのE.T.A.ホフマン(1776-1822)から強い影響を受けたとされる。
短編「ヴィー」はその頃の作品である。翻訳は、子供用ではあるが講談社青い鳥文庫「魔女のひつぎ」が入手しやすい。

ゴーゴリも、この魔女がいつ、どこで、どういう理由で魔女になったのか、そのいきさつも理由も説明していない。
古来、魔女は、悪魔と情を交わすことによって悪魔と契約した女であり、悪魔の手下だとされる。
「人間と悪魔の性的交渉」というオブセッション(妄執)は、中世の西欧社会に深い根をおろしていた。
教会側の性の抑圧と性に対する敵対的観点が、「悪をことごとく性と結びつけること」になった、
教会が「悪魔と魔女の性生活の実体にきわだった感心を示し」たのは、「まさに禁断の果実こそ周知のとおり最も甘美であるゆえ」だった(シュメルツァー57)とされる。
「悪魔と魔女の情交」など現代ではオカルト・ホラーの題材でしかなく、笑ってすます妄想だが、「魔女裁判」が行われた時代には命にかかわる重大事件であった。

『妖婆 死棺の呪い』の領主の令嬢が魔女になった理由を推測するならば、それは彼女の性的放縦さに原因があったのではないか? 映画もゴーゴリの原作も、領主の令嬢が美貌を武器に村の男を誘惑して漁っていたことを告げている――
村のやり手の男が、お嬢様に目をつけられて夢中になったあげく、骨と皮になって死んだ逸話が披露される。
父親の領主は娘の行状に頭を悩まし、悪霊にたたられて苦しめられていた娘の悪魔祓いをホマーに依頼するわけだが、
悪霊とは娘の旺盛な性的欲望を意味するのではないだろうか?

美女の娘は、いわゆるニンフォマニア(女性の色情症)にとりつかれていたのかもしれない。
ほうきに乗った老婆のホマーとの飛翔も、性的代償行為だと解釈することもできる。(あまりぞっとしない想像ではあるが・・・)

現代では、男性との性的関係を好む女性を即ニンフォマニアと決めつけることはない。
一般に男性と女性は性的能動性において違いがあるとされるが、個人差も大きいし、環境や心理的影響によって左右されることは一般的に理解されている。
しかし、女性の地位が低く、権利が確立していなかった20世紀以前には、性的積極性のある女性は怖れられ、排除された。
女性が性的に活発であることが推奨され、許されていたのは、売春宿の娼婦ぐらいである。
現代であれば、単なるフラッパー、悪くても「尻軽女」ですまされる類の女性は、現代以前の世界では「魔女」にされて、異端者としてこの世から葬られたのであろう。
魔女が復讐のために甦る場所が教会内ということも、キリスト教による性的抑圧に対する反発だと考えられる。

気の毒なのは、魔女のストーカーにあったホマー君である。
年頃の神学生は女性に目がない。夏休みの帰省中にガチョウを盗むついでに、女性をとらえて乱暴狼藉をはたらく。
しかし、ホマーの場合は、男女の役割が入れ替わって、惚れてもいない女に無理やり押さえこまれて命を奪われる。
ホマーにとって、女は老婆であれ、死美人であれ、魔女でしかない。
ホマーを手中にして満ち足りて教会の棺に眠る魔女は、2の美女ではなく、1のはじめの汚い老婆の姿に戻っていたことが、この妖婆の正体を表している。
男性にとって、自分よりパワーがあって性的にアグレッシブな女は、魔女なのかもしれない。
ホマーの悲劇に同情する男の職人たちが「キエフの女はみな魔女だというじゃないか」という噂話には、男性の女性に対する潜在的恐怖が透けて見える。

悪女もの、ファム・ファタール(運命の女)のイメージには、魔女のそれとの関連性が認められる。男はよく「女はわからない、魔物だ」という。
魔女とは、男性が理解できない女の秘められた部分、女の不気味な部分に対する男の女に対する潜在的恐怖と嫌悪をイメージ化した産物ではないだろうか。
男にとって女は、近づきたいけれど、近づきすぎると、取り込まれ呑み込まれる魔物なのであろう。

『妖婆 死棺の呪い』は、ソ連時代に制作されたのだが、ユーモラスで映像もきれいな娯楽作品に仕上がっている。
音声言語(2002年版)は、ロシア語、英語、フランス語の三か国語で収録され、字幕は日本語、ロシア語、英語、フランス語、ドイツ語など10か国語で表示される。
言語学習の点からみてもロシア語学習者の教材にかぎらず、幅広い学習対象をめざしている。
また特典映像には、原作者ゴーゴリについてのミニドッキュメンタリーが収録されている(2002年版)。
珍しい「ロシア・ホラー・ムービー」のトレーラーがついている。
ソビエト連邦のかたいイメージとは違った、よくできたエンターティメントとして高い評価と人気を誇るDVDである。

参考文献:
ゴーゴリ、ニコライ 「魔女のひつぎ」那須辰造訳 『魔女のひつぎ』講談社(青い鳥文庫シリーズ)1996年.
シュメルツァー、ヒルデ 『魔女現象』進藤美智訳 白水社 1993年

2015. April 11 Copyright © J. Shimizu All Rights Reserved.
    


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