残像(清水)

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2016年トロント国際映画祭マスター部門上映作品 ★2017年アカデミー賞ポーランド代表作品  
世界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の最後のメッセージ


『残像』 (原題 Powidoki
製作年2016年/製作国 ポーランド/上映時間 98分/映倫区分 G/言語 ポーランド語/
監督:アンジェイ・ワイダ 脚本:アンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ムラルチク/撮影:パヴェウ・エデルマン/出演:ボグスワフ・リンダ、ゾフィア・ヴィフラチュ/

2016年/ポーランド/ポーランド語/98分/カラー/シネスコ/ドルビー5.1ch/DCP/原題:Powidoki /
英題:AFTER IMAGE/後援:ポーランド広報文化センター/提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム/ 6月10日(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー


『残像』――体制への抵抗
                            清水 純子


ワイダの最後を飾る『残像』
 アンジェイ・ワイダ(1926年-2016年)の遺作 『残像』 が、2017年6月に日本公開の運びになった。
アンジェイ・ワイダは、反体制を信念に掲げた抵抗三部作の 『世代』(1955年)、 『地下水道』 (1957年 第10回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞)、『灰とダイヤモンド』(1958年 第20回ヴェネツィア国際映画祭で国際画批評家連盟賞を受賞)などの名作で知られるポーランドの映画監督である。青年時代に喜多川歌麿や葛飾北斎の浮世絵によって日本美術に感銘を受け、芸術家になったため大の親日家として知られる。1988 年に坂東玉三郎主演の舞台劇『ナスターシャ』(ドストエフスキーの『白痴』が原作)を演出、1994年に映画化し、同年の1994年には、寄付金を基盤に日本美術センターをクラクフに設立した。
 2016年10月に90歳で亡くなったワイダの遺作が、この『残像』である。祖国ポーランドを圧迫する体制への抵抗という一貫したテーマはここでも見られるが、モノクロの初期の抵抗三部作や血なまぐさい『カティンの森』(2007年)に比べると、パステル・カラーの上品で哀愁を帯びた色調が際立つ。ナチス・ドイツとソ連によって自由と権利を踏みにじられた祖国ポーランドの20世紀の「残像」への切ない思いが胸を打つ。祖国への愛をうたい続けた芸術家ワイダの魂は、最後まで健在である。ワイダは、『残像』によって、表現の自由、個の尊厳を奪う、野蛮な体制への非難と憎悪を実在のポーランドの画家の生涯を通して、以前にもまして洗練された美しい映像によって訴える。


ポーラドの画家トゥシェミンスキの実話
 映画は、さわやかな美しい草原でスケッチをする若い男女の姿で始まる。ポーランドのウッチ造形大学の学生が待つ草原の丘の上から、年配の男性が杖と体を転がしながらやってくる。予期しない来訪のスタイルに熱狂した学生たちもこの男性、ストゥシェミンスキ教授にならって、丘を転げまわる。教授は、前衛芸術の地盤を築いたポーランドが誇る画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキである。 のどかな草原で、教授は『視覚論』の基本理念をなす「残像はものを見た時に目の中に残る色だ。人間は認識したものしか見ない」と説明する。片足で杖をつくストゥシェミンスキ教授は、その理由を語らないが、第一次世界大戦で負傷したためである。 時は1949年から1952年。愛国者のストゥシェミンスキは、祖国ポーランドへの愛から参戦したが、ポーランドはスターリンの全体主義に脅かされている。ポーランド政府は、社会的リアリズムを掲げて、芸術を政治に利用しようと企んでいた。祖国ポーランドの主権と個人の尊厳を奪う全体主義国家に抵抗するストゥシェミンスキ教授は、政府の社会的リアリズム表明への協力を拒む。自室でデッサン中に大音響の演説と共にアパート全体を巨大な赤い旗で覆うその切れ端をじゃまだとして、窓からナイフで切り裂くストゥシェミンスキは、警察で尋問される。協力を拒むストゥシェミンスキは、次々と権利を剥奪されていく。大学の職を追われ、学生が世話をしてくれたアルバイト口も奪われ、作品を展示した画廊を破壊され、食料の配給切符も配られず、ストゥシェミンスキは餓死寸前で街中に倒れる。酔っ払いだと思われて無視されたストゥシェミンスキを心配した中年婦人の通報によって病院に運ばれた時、ストゥシェミンスキの体はすでに肺癌末期であった。味方をした学生は退学になり、逮捕され、愛想のよかった事務員や下宿先の女中から冷たくあしらわれたストゥシェミンスキは、孤立無援の虫けらに落ちていく。会いに来てくれたのは、数少ない旧友と幼い娘のみである。死期を悟ったストゥシェミンスキは、医師の制止を無視して病院を抜け出し、離婚した亡き妻の墓に、彼女の瞳の色に染めた青い花を捧げる。よぼよぼの体で、ショウウィンドウのデザインを手がけようとして拒絶されたストゥシェミンスキは、マネキンにつかまろうとして轟音を立てて人形と共倒れになり、息絶える。ショウウィンドウの外の歩行者は、ストゥシェミンスキの遺体にも気づかずにマネキンの一部だと思って通り過ぎていく。


教者ストゥシェミンスキ  
 ストゥシェミンスキは、自己の主義もしくは芸術に対する殉教者である。殉教者とは、「自らの信仰のために命を捧げたとみなされる者」をさすが、ストゥシェミンスキは、自分の信念である芸術上、政治上の表現の自由を求めて、命を捧げた。ワイダ監督の作品の多くは、自己の尊厳や信条のために命を落とす者が描かれる。命を保つためだけならば体制に従順であればいいが、人間らしい尊厳を守って生きるのには命を捧げることも必要だ、というワイダの主張がうかがえる。
 『鷲の指輪』(1992年)の美男の兵士マルチンは、やっと再会した恋人ヴィシカの王冠を敵にそがれた鷲の指輪を見せると、ヴィシカはもはや彼に興味を示さない。窮地に陥り、恋人からも見放されたマルチンは、ピストル自殺をする。生き抜いてきた大切な命を無残に捨てるマルチンの行為だが、「王冠を被った鷲」はポーランドの紋章である。 王冠をそがれた鷲はもはやポーランドではないという恋人の幻滅を感じて、マルチンは自害したと考えられる。鷲の王冠は、ポーランド人のプライドを象徴していたため、誇りを失った人間に真の生命は宿らないというワイダの主張であろう。


尊厳を奪われた生は無意味   
 愚直なまでに自己の主義主張に固執して、人生も芸術もそして命まで破壊され、世の中から葬りさられていくストゥシェミンスキの姿は、ワイダの自由と尊厳への祈りであり、人間らしい生き方を踏みにじる体制への抵抗の声である。 『ドイツの恋』(1983年)でも、ドイツ人の人妻と恋仲になり、死刑を宣告される捕虜のポーランド青年が、ドイツへの帰化を拒否して死を選ぶのも愛国心とポーランド人としての誇りの表明である。ワイダの潔さは、人間としての尊厳を奪われた生に価値を見ないため執着しないことであろう。
 主義のために、あるいは信仰のために、命を捧げるという伝統と歴史を強固に保持することの少なかった日本人にはワイダの主張は理想的すぎるように思えるかもしれない。しかし、島国の鎖国によって偶然難を逃れてきた日本とは異なるポーランドの歴史を振り返れば、ワイダの主張は説得力を持つことであろう。 幸いなことに、ポーランドは、20世紀後半になって民主化が実現して、以前よりは良い方向に向かってきているようである。しかし、かってのポーランドと同じく、あるいはそれ以上に悲惨な状況下で苦しむ国民は世界各地に依然として存在する。ワイダが映画を通じて描き続けた抵抗の詩は、世界にとっては終わった過去ではまだない。


©2017 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2017. March 15


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