残像(横田)

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『残像』--アンジェイ・ワイダ監督最後のメッセージ

💛💛💛 心の師匠アンジェイ・ワイダ 💛💛💛 


              横田 安正

筆者の前身はTVドラマ・ドキュメンタリーの監督で、師匠は五社英雄監督であった。五社監督の画作り、演技指導など演出技法全般を盗むことにもっぱら専念した。しかし、筆者の「心の師匠」は海を隔てた映画監督アンジェイ・ワイダであった。それは《灰とダイヤモンド(1958)》との衝撃的な出会いに始まった。心も身体も震えるような感動に見舞われ、完全に「アンジェイ・ワイダ・オタク」になってしまったのだ。筆者の監督デビューは1968年、眠狂四郎シリーズの第25話「二人の刺客」だったが、内容は何と《灰とダイヤモンド》を下敷きにしたものであった。アンジェイ・ワイダに対する敬愛の情は止みがたく、定年退職の直前、1998年4月にポーランドに渡り、古都クラクフで監督との対面を果たした。

アンジェイ・ワイダ監督は1950年代の《世代》、《地下水道》、《灰とダイヤモンド》の抵抗三部作に始まり、《白樺の林(1970 )》、《大理石の男(1977)》、《鉄の男(1981)》、《コルチャック先生(1990)》、《鷲の指環(1992)》、《聖週間(1995)》、《カティンの森(2007)》などの傑作を発表してきたが、一貫したテーマはドイツ軍の降伏後、満を持してポーランドに侵攻し、傀儡政権を樹立したロシア政権に対する恨み、その後、国民の自由を奪って圧政を続けた祖国の共産主義体制に対する怒りであった。

2016年10 月9日、アンジェイ・ワイダ監督は急逝した。享年90。その寸前に完成させたのが《残像》である。スターリンによる鉄の全体主義に脅かされながら、創作と美術教育に打ち込む実在の芸術家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)の生涯を描いた作品だ。映画の舞台は1945~1952、ポーランド中部の都市ウッチ、ストゥシェミンスキはウッチ造形大学の教授である。才能と名声に裏打ちされた芸術家で、独特の“ウニズム理論”で国内外で知られていた。ミンスク(現在はベラルーシュの首都)でポーランド人貴族の家に生まれたものの、第一次対戦ではソ連軍の兵士として参戦し、片腕と片足を失った。松葉杖にすがるストゥシェミンスキを学生たちは“近代絵画の救世主”と崇めている。一方、文化省は政治の理念を反映する“社会主義リアリズム”を芸術家に強制する。しかしストゥシェミンスキは己の芸術に妥協を許さなかった。当局の迫害は激しさを増し、彼は遂に大学とポーランドデザイナー協会から追放されてしまう。彼のクラスに通った学生たちが大変な思いで実現した展示会も当局の妨害に見舞われる。開場直前にならず者たちが侵入し、作品を全て粉々に打ち砕いてしまうのだ。この映画の特徴は、当局による圧力が手を変え品を変えて次々と登場することである。

全ての肩書を剥奪されたストゥシェミンスキは食料の配給も拒否され生活は困窮を極めて行く。離婚した彫刻家の妻は病床に伏し、ティーンエイジャーの1人娘ニカが父と母の間を交互に訪れ面倒を見ている。体調を崩しながらもストゥシェミンスキの創作意欲と“視覚理論”の完成を目指すエネルギーは衰えない。しかし当局の嫌がらせはなお続き、容赦なく彼を追い詰めて行く。

学生たちの助けで市役所に雇われるがその仕事は皮肉なことに党のプロパガンダ看板を描くことだった。そこにも当局の手が及び、最終的にはショーウインドウのマネキンの飾り付けをさせられる。しかし弱った身体を支えきれず、松葉杖ごとマネキン人形の中に倒れこむ。通行人はそれにも気付かず通りすぎる。悲惨で哀れな最後である。

主人公を演じたボグスワフ・リンダは1962 年生まれのポーランドを代表するスターであり、監督であり、ワルシャワ映画学校の創立者でもある。アンジェイ・ワイダ作品にも度々登場しており、この映画でも権力に追い詰められる芸術家の苦悩を、説得力をもって見事に演じきった。

愛するアンジェイ・ワイダの遺作に対する筆者の感想は「アンジェイ・ワイダ老いたり」ということである。これは決して悪い意味ではない。黒澤明にせよ成瀬巳喜男にせよ、遺作は必ず枯れたものになることが宿命づけられる。ワイダ監督の特徴は人間の悲哀、宿命を乾いたタッチで描きながらその奥に哀切極まりない情感を滲ませるせることである。《残像》では偉大な芸術家の悲劇を淡々と力を込めず描いている感がある。ストーリーの展開は極めて簡潔で、余分なものを削ぎ落とし、芸術家を襲う苦難を情緒を交えず粛々と描いて行く。プロ野球の投手に例えれば「省エネ投球」である。そこに“哀切な情感”はそれほど強調されない。枯れている。「ワイダ老いたり」とはそういう意味である。逆に筆者は、死を前にしてこれだけの重いテーマを引き締まったカッチリした映画に仕上げる監督の力量に驚異を覚えるほどである。

長くに亘って多くの人々を感動させ、勇気を与えてくれたアンジェイ・ワイダ監督に心からご冥福を祈りたい。

なお、タイトルの《残照》は、ストゥシェミンスキが1948年~1952年に発表した「光の残照シリーズ」に由来するという。

©2017 A. Yokota. All Rights Reserved. 17 April 2017

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