絹の叫び&精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱

 

錯乱する精神科医―ー『絹の叫び』&『精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱
                                                                     清水 純子

精神科医は気分障害を患う傾向が強いという。精神を病んだ患者の治療にあたり、健全な生活へとリードする職にある精神科医自身が精神を病んでしまうなんて、あっていいことだろうか?でも、現実には存在する。

アメリカの権威ある精神医学雑誌によれば、精神科医が自殺する確率は一般人の五倍、精神科研修医にいたっては九倍になる(西城4)。
自殺する精神科医、あるいはその直前の医師も多く、精神科医自身が自分の精神疾患をコントロールするために薬漬けになっている場合もある。
精神科の医師に「薬は本当に効くのか」と尋ねたところ、向精神薬の粒をまき散らして「私がこんなに飲んでいるのだから利かないはずはない」と怒り出した(西城17)という。 さらに異性の患者との関係において性的にだらしない精神科医もいる(西城26)。
常習犯となった男性医師は、「女性患者が医師を誘うからであり、その行為自体が病気なので医師側の過失ではない」(西城27)と平然と主張するなど枚挙にいとまがない。

ここでは精神科医の錯乱として(1)女性患者との性的関係に関連する『絹の叫び』(2)、薬物乱用を扱った『精神科医ヘンリー・カーターの湯鬱』の二つの映画を紹介する。

『絹の叫び』 DVD販売元: 東芝デジタルフロンティア

『絹の叫び:フェティシズムの愛撫』(Le Cri de la Soie,1996)

映画『絹の叫び』は題名が示すとおり、絹に対するフェティシズム癖のある女性患者と同じ趣味を持つ担当男性精神科医の破滅に至る恋愛関係を描いている。

フェティッシュとは「性的な興奮やオーガズムを得るために必要とする無生物または人体の一部(ムーア「フェティッシ」の項目)を崇拝し、固着すること」である。

フェティシストは、フェティッシュに関連するファンタジーを持てる場合のみ性的関係を持てる(ムーア「フェティッシュ」)。20世紀初頭のパリでお針子をするマリー(マリー・トランティニャン)は、絹フェチ娘である。
マリーにとって、絹はファルスの代用品なので人間の男は必要がなかった。
マリーは、百貨店の売り物の絹を引き裂いて、最もデリケートな部分にこすりつけてはさみ、裸になって失神したため精神病院送りになる。
マリーの担当精神科医ガブリエル(セルジョ・カステリット)も同じ趣味であったことから、二人は接近し、絹を敏感な部位に設置して性交渉を成立させる。しかし二人の悦楽の逢瀬は、ガブリエルの失明とそれに続く自殺によって終わりを告げる。

女性は誰しも衣類のフェティシストであり、「見られることの受動的欲動、露出の欲動と関連がある」(アスン94)なのである。
女性の品質は衣類によって保証される(アスン95)という。
フロイトが「織物」と「編み物」を最も重要な女性の貢献と述べる(アスン95)ように、
マリーがお針子であったことは、女性のフェティシズムが社会や文化における女性の位置づけと切り離して考えられないことを語る。

この映画のモデルとされるフランスの精神科医ガエタン・ガシアン・ド・クレランボー
(1872-1934)は、「眼差し」の問題を提起した(アスン133)が、ガブリエルの失明は盲目、失明、闇および存在を取り消す行為「暗点化」を意味する。

フェティシスト・マリーの露出の欲動を受け止められなくなった窃視者のガブリエルにとって、失明は去勢を意味する死に値するむごい運命だったのだ。


『精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱』(Shrink, 2009)

DVD販売元 ポニーキャニオン

“Shrink” は、「精神科医」を意味する俗語である。
ハリウッドのセレブかかりつけの精神分析医としてマスコミに顔が売れているヘンリー・カーター(ケヴィン・スペイシー)は、実はマリファナの常習者で、アルコール依存症と不眠症に悩まされている。
本当のところ、カーターこそが診察と治療を必要な病人なのだが、世間体とプライドゆえに、事実を認めることを拒絶して、権威と名声に固執して医師の仮面を脱ぐことができない。
カーターの患者には、ばい菌恐怖症でナルシストのやり手プロデューサー、薬中でアル中の男優、セックス中毒の初老男優、若さを失うことを病的に恐れる女優、リストカットした女子高校生がいる。
カーター医師は、患者の前では救世主の役割をかろうじて演じているが、患者はどれもカーターの分身のような存在である。
医師と患者の間には境界線が引けない、つまり両者は正常でないという点で似たもの同志なのが真相なのである。
結末はカーターがドラッグ断ちを決行し、女性患者に愛をうちあけ、久しぶりにソファーではなく、ベッドで寝る場面で終わる。
『絹の叫び』とは違って、カーター医師は自殺せずに新しい生活に踏み出すが、女性患者とねんごろになる点は、精神科医としてのモラルを逸脱している。

米国医学会による調査では、医療職の中で精神科医の自殺率が最も高い。
自殺した精神科医の半数以上は自分自身に対して精神科薬を処方し、専門家の治療も受けていた。(西城4-5)。
精神科医の自殺が多い理由としては、精神科医は危険で強力な薬を入手できる立場にあるので、自殺しやすいことがあげられる。
さらに長時間の過酷な労働環境に堪えなければならないためストレスを受けやすい。
もし精神を病んでも立場上、治療を受けにくく、医師であるゆえに援助を仰ぎにくくするという社会的孤立を生む場合もある(Foster)。

1920年の映画『カリガリ博士』では、医者のカリガリ博士が精神に異常をきたして拘束衣を着せられ、独房へ収容されるが、実はこの話自体が狂人フランシスの作り話だったという二重に人をかつぐ作りになっている。
自らが精神を病んだフロイトやユングの例に見るように、苦しんだ人のみが最良のセラピストになりうると主張する人もいる(Epstein)。
しかし、精神科医の錯乱を促し、許す過酷な現状に対して早急な改善の必要性があることを二本の映画は教えてくれる。

DVD
『カリガリ博士』(The Cabinet of Dr. Caligari). 監督:ロベルト・ウイーネ、
 出演:コンラート・ファイト、ヴぇルナー・クラウス、販売:有限会社フォワード、
 制作:WHDジャパン、1919年。

『絹の叫び―フェティシズムの愛撫』(Le Cri de la Soie)。監督:イヴォン・マルシアノ、
出演:マリー・トランティニャン、セルジオ・カステリット、 発売:東芝デジ  タルフロンティア、1996年。
『精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱』(Shrink) 、監督:ジョナス・ペイト、 出演:ケヴィン・スペイシー、ロビン・ウィリアムズ、ポニーキャニオン、2011年。

参考文献
アスン、ポール=ロラン『フェテイシズム』西尾彰泰他訳、白水社、2008年。
西城有朋『精神科医はなぜ心を病むのか』PHP研究所、2008年。
ムーア、B.E. 他『アメリカ精神分析学会 精神分析事典』福島章監訳、
新曜社、1995年。
Foster, D. Joshua & Ilan Shrira. “The Narcissus in All of Us: Reflections on the self,
 personality, and what makes you, “You.” Psychology Today: The Occupation with
 the highest suicide rate. 21. Feb. 2012.    <http://www.psychologytoday.com/blog/the-narcissus-in-all-us/200908/the-occupatio n-the-highest-suicide-rate>.
Epstein, Robert. Why Shrinks have Problems: Suicide, stress,divorce—psychologists and other mental health professionals may actually be more screwed up than the rest of us. 27. Feb.2012.
<http://www.psychologytoday.com/articles/200909/why-shrinks-have-problems>.

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