『レイブンズ』
2024年製作/116分/PG12/フランス・日本・ベルギー・スペイン合作/
原題または英題:Ravens/ 配給:アークエンタテインメント/1時間56分/
スタッフ・キャスト:監督&脚本 マーク・ギル/ 音楽 テオフィル・ムッソーニ/深瀬昌久 浅野忠信/ 深瀬洋子 瀧内公美/ 深瀬助造 古舘寛治/
正田 池松壮亮/ バーの店主 高岡早紀/
2025年3月よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国で公開
©深瀬昌久アーカイブス 作品タイトル:深瀬昌久「襟裳岬」(シリーズ「鴉」より)1976年

©Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films
『レイブンズ』―― 生の欲動(エロス)と死の欲動(タナトス)をつかさどる大鴉
清水 純子
『レイブンズ』は、世界的に名高い伝説の天才写真家・深瀬昌久の生涯を虚実ないまぜに映像化した秀作である。「実」は、深瀬の外見的写真家としての栄光と家族を軸に据えた50年にわたる人間関係の葛藤、「虚」は、大鴉が表象する深瀬のジレンマに満ちた内面であり、外からはうかがい知れない深瀬の心の深淵である。
深瀬の「実」
1934年、深瀬昌久は北海道の写真館を営む家に生まれた。腕利きだが厳しい父に写真屋としての特訓を受けて育った。深瀬写真館は母方から引き継がれたが、父は家父長的で暴力を厭わない暴君のふるまいを見せた。遊びたい盛りの昌久に暗室での現像作業を強制し、昌久の孤独癖や後の閉じこもる性格の形成に拍車をかけた。昌久は、長男として将来写真館を継ぎ、経営していくことを義務づけられていたが、昌久は写真屋ではなく、写真家になりたかった。東京の写真大学の入学許可書を喜ぶ昌久の前で破り捨てる父は、「写真屋に大学は必要ない、すべてわしが教えた」と激怒する。それでも母のとりなしによって、昌久は、卒業後、家を継ぐことを約束させられて東京へ向かう。すべて力づくで押し付ける父の圧力に耐えかねた昌久を陰で庇い、養護してくれたのは母だった。
深瀬を前進させてくれた女性には、母の他に、恋人から妻になった深瀬写真のミューズ洋子がいる。鴉をモチーフとする写真で有名な深瀬は、妻・洋子に鴉の扮装をさせた印象的な写真を何枚も残している。NYでも好評を博した深瀬の写真によってスターになった洋子は、深瀬の得手勝手で自堕落な態度に愛想をつかして出ていく。洋子に去られた絶望からますますすさんだ生活を送る深瀬とは対照的に、洋子は良き伴侶を得て、安定した生活を満喫する。ゴールデン街の安酒場に入り浸る孤独な深瀬は、自分の予言通り、急で狭い階段から酔って転げ落ち、脳挫傷を負う。深瀬は、カメラマンとして復帰することも、見舞いに来た洋子を認識することもなかったが、洋子は深瀬がなくなるまでの10年間、病院への足を休めることはなかった。
深瀬の「虚」
深瀬の前に大鴉が姿を現すのは、東京の大学に進学しようかどうか迷っていた頃である。突然深瀬の勉強部屋に外から飛び込んできた黒い鴉は、あっという間に等身大の大きな鴉の着ぐるみを着た人物に変身する。部屋に舞い込んできた「大鴉」は、写真家・深瀬の心の闇と深淵を象徴している。この大鴉は、力強い男の声色で、時には励まし、慰めるが、その反対に叱責し、挑発して、深瀬に語りかける。深瀬が悩んだり、壁にぶつかると必ず登場するこの大鴉は、深瀬の一挙一動を見て、記憶し、分析して深瀬に反省と内省を要求し、深瀬がうやむやにして隠したい心の秘密を暴き立てる。大鴉は、深瀬が一人の時にしか姿を現さないし、深瀬にしか見えない存在らしい。深瀬は大鴉を恐れ、うっとうしく感じながらも、その存在から逃れることはできない。幼少時、父を恐れながらも逃げることができなかったように、大鴉が父に代わって深瀬の教育係であると同時に抑圧者となったのか。
大鴉は深瀬の生と死の欲動
大鴉は、深瀬のもう一人の自分、つまり「オルター・エゴ」であろう。特に写真家としての深瀬の悩みや葛藤を表現する媒体だとみなせる。大鴉は、深瀬が写真家としてスタートを切る頃から頻繁に現れて、孤独な深瀬につきまとう。「生と死」のモチーフにこだわり続け、自分も生と死の間に挟まれてもがきながら、自己のアートの中で両極端のせめぎあいを表現した男、深瀬の生の欲動(エロス)と死の欲動(タナトス)をつかさどったのは、大鴉にほかならなかった。深瀬は、母と洋子の母性によって守られてきた。その一方で、深瀬が生涯にわたって反発し続けた父性は将来の道を模索するための強力な道しるべであった。生と性への欲求とその枯渇と阻害が呼ぶ絶望からの死への衝動の前後には、いつも大鴉が出現した。しかし、幾度かの自殺への衝動と未遂の後、脳の知的な日常的活動が停止した深瀬には、もう大鴉が姿を見せることはなかった。
大鴉の姿が消えて、深瀬の心には平安が訪れたのだろうか? 写真家としての生命を閉じ、最小限の表現も許されなくなった深瀬の脳はなにを感知していたのだろうか? 誰にもわからない。アメリカのエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」(“The
Raven”)のように、むなしく「もはやない」(“Nevermore”)と繰り返す大鴉の声に
抑えこまれたのだろうか?
浅野忠信の圧巻の演技
『レイブンズ』を成功に導いたのは、浅野忠信の見事な演技である。酔っぱらいの天才写真家・深瀬昌久の光と闇を気負わない、自然な演技で説得力と迫力をもって演じた浅野の演技力はすばらしい。映画『バーフライ』のミッキー・ロークを思い出させる。監督と脚本がイギリスのマーク・ギルであったことも、異文化の息吹きを消化して見事に日本の土壌に息づかせた勝利である。
©2024 J. Shimizu. All Rights Reserved. 9November 2024
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